5年前は、秋田に帰省していました
今朝、Facebookを開いたら、個人的にはFacebookの大きなお世話だと思っている機能が、5年前の今頃、私が秋田にいたことを教えてくれました。
5年前の今頃は、母が入院していたため、兄、弟、叔母たちと連絡を取りながら、交代で付き添いのために秋田に帰省していました。地元には、父と母が暮らしていましたが、父は認知症の症状もあったため、施設に入所していました。
11月に入院した頃はまだ意識があったそうですが、12月には意識不明となり、寝たきりの状態に。病院の面会時間に母の病室に通い、人工呼吸器、点滴などにつながれた母の寝顔を眺めていました。
午前と午後の面会時間の合間に、秋田県立美術館へ行って、藤田嗣治の「秋田の行事」を見た日もありました。ほぼ貸切状態で、ゆっくり見るkとができました。思った以上の絵の迫力に、圧倒されたことを覚えています。そして、どこか懐かしい秋田の姿が描かれていました。
12月の秋田は、東京に比べるとずっと寒くて、時々、雪がちらついていたこともありました。そして、2回目に秋田に帰省した時に、母を看取りました。
母は子どもたち(兄、私、弟)を地元に置かない方針だったので、3人とも、県外の大学に進学し、そのまま地元には戻らず就職しました。
母が亡くなる数年前に帰省した時、母から、私の大学進学については祖父や父が反対したことを教えてくれました。要するに、祖父や父は「女に学問は不要だ」と考えていたということ。せいぜい譲って、地元の短大だったらOKだったようですが。
でも、最終的には、母の考え+後押しもあり、私は大学へ進学することができました。私自身は、「兄が大学に進学したから、当然、私も」と考えていたのですが、実は、大学に進学することができなかったかもしれなかった、ということだったのです。
母自身、跡取り娘だったため、なんとか高校までは行かせてもらったそうです。母の妹たちは、祖父が「そばに置いておくと、何かと面倒だから」と短大や大学に進学させ、その後、県外で結婚しました。どうやら、母はそれが悔しかったようで、娘には自分ができなかったことをさせてくれたようです。就職の時も、「地元には帰ってくるな!」と言われました。
もうすぐ、母の命日が来ます。
今年、父も亡くなったので、秋田には帰省しにくくなりそうですが、秋田県はいつまでも私の地元だと思っています。
そして、いつか、秋田と関わる仕事ができるようになりたいと思っています。